
■阪神大震災の被害
平成7年1月17日、夜明け前の神戸の街を大地震が襲いました。阪神淡路大震災です。震災発生から2か月後、私の所属する東京都建築士事務所協会より被災家屋の応急危険度判定業務の派遣要請がありました。
急ぎ訪れて目の当たりにする神戸の街はあたり一面倒壊家屋や焼失したガレキに埋め尽くされ、今まで見たことのない光景が広がっていました。
私は神戸市から受け取った調査依頼書を手に調査家屋を探していました。
灘区の街を踏査している時にふと見かけた光景が今でも忘れられません。1階部分が押し潰された家の前に菊の花と線香の燃えかすが残されていました。人が命を落とした現場であることは一瞬で理解できました。足を止めて手を合わせ、ふと顔を上げるとすぐ隣の家に目が留まりました。倒壊した家屋と恐らく同時期に建てられ、大きさもほぼ同じのその家の玄関に張り紙があることに気が付きました。
「○○中学校の体育館にいます。全員無事です。」
私はその張り紙を見て呆然としました。
かたや家族の命を奪った家と、大きく傾きながらも最後まで家族の命を守った家。どこが違ったのか、その時の私には判りませんでした。……父の造った家は、私の造っている家は家族を守る家なのか、命を奪ってしまう家なのか。そんなことが頭をよぎりその場に立ち尽くしたことを今でも忘れません。
この出来事から家づくりで最も優先されること、それは「安全」であるとの思いを強く持ちました。それからは何としてもお世話になっているお客さまだけでも守りたい、という強い思いで耐震知識の研鑽に励みました。他界した父の建てた家も私に責任があります。当時の建築基準法は耐震基準が甘く、たとえ心を込めて造ったからといって大地震に耐えるとは言えなかったからです。父がお世話になったお客さまを一軒一軒まわり、耐震診断と必要ならば耐震補強をおこなうべく説得をしました。神戸で目の当たりにした悲惨な状況にお客さまが巻き込まれないために。
しかし現実はそう甘いものではありませんでした。良かれと思って薦めてまわっていた時、あるお客さまからこんなことを言われました。「お父さんが亡くなって大変なのはよく分かるが、先代の造った家にケチをつけて仕事を取るような真似は止めなさい」「あなたのお父さんは腕のいい立派な職人だったよ」と。……そんな風に思われていたのか。愕然として言いようのないやるせなさを感じました。
■研究者と知り合うきっかけ
それでも私の家づくりの思いは消えることはありませんでした。地道に私が経験したこと、家の安全性が最も大切だということを知ってほしいと考え、様々な自作の資料や経験談を読み物にして配布しました。とにかく東京に巨大地震が来る前に何とかしなければ、そんな思いで必死でした。そんな活動が日本経済新聞はじめ複数のメディアに取り上げられる機会に恵まれ、多くの地震工学、建築工学の研究者と知り合うきっかけとなりました。



東京大学のその道の権威と言われる先生に「現場ではこのような障害があるため耐震化が進まない」などと申し上げたり、論文のデータを提供したり、今から思えば釈迦に説法で出過ぎたことをしたと恥ずかしい限りです。
■耐震に関する著書の出版
耐震について必至になればなるほど、まるで何かに導かれるように様々な機会に恵まれ、耐震に関する著書も出版できました。
私の著書を知った地元の足立区から「耐震助成制度を作るので、意見交換をしたい」との申し出を受けました。こうして現在都内で耐震診断助成件数ナンバー1の実績を続ける足立区の制度設計に関わることができました。議会質問に対して「(実績はともかく)このような制度があります」というような行政側のアリバイ制度とは違い、いかに使いやすく広めるにはどうするかに力点を置いた制度をつくりました。その背景には命を守る家づくりへの思いがあったからです。
■耐震説明会という草の根活動
その後も足立区から広く耐震化をすすめたいとの要望から、10年以上前より年間40~50回、区内各地で「耐震説明会」の開催を私の所属している東京都建築士事務所協会足立支部が受託しています。講師は第1回目から一貫して私の担当です。
そんな地道な活動が認められ、全国の自治体が加盟し公共建築物が被災した時の共済である全国市有物件災害共済会の「全日本耐震グランプリ」に平成20年に優秀賞、平成22年についに最高賞であるグランプリを受賞することができました。
また、私の出身大学で若き建築家のたまご諸君に「建築の最も大切な使命」について講義を通じて伝えていることも私の大きなエネルギーの源にもなっています。
私には夢があります。近い将来必ず巨大地震が私たちの街を襲います。このままでは「○○区、死者○○名、行方不明者○○名。△△市、死者△△名、行方不明者△△名」と報道されるでしょう。しかし私たち工務店、職人さん、建築家の一人ひとりが自分のつくった家に責任を果たすことができたとき、はじめて「死者ゼロ」と報道されるのです。
「死者ゼロ」という夢の実現のために今、ご縁をいただいたお客さますべての命を守る家づくりから始めます。そして建築にたずさわる仲間たちや建築の未来をになう若者に働きかけることは私の使命でもあると思います。すべてのお客さまの命を守ることが責任であり、私たち技術者のプライドでもあるのです。
神戸の街で見た一枚の張り紙。それが私の家づくりの原点です。

(足立区主催)

(発表の様子)

(足立区長 表敬訪問)